食べ物の趣向というのは現代では宗教以上に宗教だと思った話
昨日、下記↓のサイトを見て色々思うところがあって、妻に「朝食を抜きたい」という旨の申し出をしたら多少騒動になりました。
その騒動を経て思ったのは、食べるものに対して趣向を持つというのは現代ではもはや宗教に近いんだなということです。
自分が「あるもの」に対して「何らかの考え」を持つことは、その「あるもの」に対して「他の考え」を持つ人と敵対する可能性があるということです。
こちら上記のサイトよりの引用です。
食事の質の低下もさることながら、問題なのはむしろ食事の量だ。食べ過ぎほど体をいじめるものはない。
「ああ、たしかに食べ過ぎの人っているよね。私なんかは、1日3食、テレビや雑誌のレシピ通りに食べているから」
それでは食べ過ぎである。
現代日本人は、ふつうに食べていたら食べ過ぎなのである。
上記のように言うことは、今まで一日3食食べてきた人を否定するということです。
人間の身体は極端に言うと、今まで食べてきたもので構成されています。
なので、「食べ方、食べるもの」を否定するということはその人自身を否定するということに直結します。
だから僕は「食」というのが「多様性を受け入れる」必要があるジャンルの1つなんだなあと思います。
自分が朝ごはんにステーキを食べて牛乳を飲んでいる。
その向かいで彼女がサラダを食べて水を飲んでいる。
これを外食でなくて家でも当たり前にするということが必要だと思います。